1月に滞在した北海道の二子渉さんのもとで再び、
3月に約1週間ずつ2回、育児&家事サポートをさせていただきました。
その滞在で得た気づきについてお伝えしています。
今回は「あーちゃんの前でどう在るか(後編)」です。
前回の記事はこちら
※「あーちゃん」は、昨年12月に誕生した二子さんの赤ちゃんです。
さて、あーちゃんも例に漏れず、周りの人たちの意識に敏感です。
二子さんが提唱されている
「成熟した大人の意識」と「防衛的な子どもの意識」
を見事に察知します。
この二つの意識についての詳細は、
二子さんのGFLのページをご参照いただきたいのですが、
私の言葉でざっくり言うと、
「成熟した大人の意識」とは、
とても落ち着いていてフラットな状態、
公正公平で自分の間違いにもオープンな状態
「防衛的な子どもの意識」とは、
不安になって焦っていたり、自己卑下したり、
他者に対して支配的・反抗的になったりしている状態
です。

二子さんいわく、
どんな「大人」でも「防衛的な子どもの意識」を持っているもので、
よっぽど悟った人でない限り、
「成熟した大人の意識」だけでいられる人はほとんどいない
とのこと。
ただし、「成熟した大人の意識」の状態をいかに保てるか・増やせるか
というのは本人の努力次第です。
「成熟した大人の意識」で他者と関わると、
少しずつ、でも着実に、とても良い関係に変わってきます。
さて、あーちゃんに話を戻すと…
誰かが「防衛的な子どもの意識」でいると泣いて知らせてくれます。
極端な例を出すと、
誰かがあーちゃんに対してコントロールしようとしたり、
誰かが誰かに対して攻撃的だったり、
誰かが不安を抱えていたり。
そう、在り方が伝わってしまうのです。
ちなみに、私の場合、しょっちゅう
「ダメな自分を見せてはいけない」、
「二子さんたちの役に立ちたい」
といった思いがあり、「防衛的」になっていました。。
「ダメな自分を見せてはいけない」は、
「ダメな自分では価値がない」ということで
「防衛的である」と想像しやすいと思いますが、
「役に立ちたい」も、実は
「役に立たない自分なんて価値がない」という思考が根っこにある場合には
「防衛的である」ということだそうです。。
私には「役に立ってこそ存在意義がある」
というような思考がしみついています…。
だからでしょうか。。
あーちゃんは私といるとき、結構な確率でギャン泣きしていました。。
そんな私は、
2週間強、どのようにあーちゃんと過ごしていったのでしょう。