催眠の歴史を紐解いていくと、古代エジプトや古代ギリシャなど、大昔から使われてきたことがわかっています。
近代催眠は、18世紀後半、ウィーンの医師であるアントン・メスメルが発表した「動物磁気説」を機に発展していきます。宇宙に満ちるガス状の流動体を利用して治療するというもので、メスメルの技法は「メスメリズム」と呼ばれました。その後、フランスのピュイゼギュール侯爵による実験で、「人工夢遊病状態(ソナンバリズム)」が発見されます。そうして、ヨーロッパで徐々に広まっていきました。

1843年、スコットランド出身の医師、ジェームズ・ブレイドが『神経睡眠学』( 原題 : « Neurypnology »)を著します。その中で、自身がギリシャ語の「hypno(睡眠)」から発案した「hypnotism(催眠)」、「hypnotist(催眠士)」、「hypnotize(催眠に入れる)」といった催眠関連の言葉の使用を提案します。その後、ブレイドは催眠はすべて暗示であるとの考えに達します。
19世紀後半、フランスで、メスメリズムを継承したパリ学派(サルペトリエール学派)と、反メスメリズムのナンシー学派が登場します。パリ学派(サルペトリエール学派)は、ジャン=マルタン・シャルコーを中心に、動物磁気を利用した研究が進められていきます。
対するナンシー学派は、アンブロワーズ=オーギュスト・リエボーとイポリト・ベルネイムを中心に、動物磁気説を否定した、暗示による治療を提唱しています。その他、フランス人薬剤師のエミール・クーエが、覚醒状態での暗示療法を行っていきます。

ヒプノセラピーが発展したのは1880年頃です。パリ学派とナンシー学派を両方学んだジークムント・フロイトが、ヨーゼフ・ブロイヤーとともに『ヒステリー研究』を発表します。患者に、過去を追体験させることで問題となっている症状が改善した(カタルシス)、という事例が記されました。
ここから年齢退行療法と精神分析が進歩していきます。さらに、フランスの医師、ピエール・ジャネは、思い出した記憶を書き換えることが必要であるという研究を発表しました。これが現在も使われている年齢退行療法の礎となり、ヒプノセラピーは著しく向上しました。
一方、1890年代から1910年頃にかけて、フランスのアルベール・ドゥ・ロシャ大佐が前世退行実験を繰り返しました。
その中で、胎児期退行や未来順行も行われ、「現在の人生とは違った時間軸」といった概念も出てきました。当時の実験が、のちに心理療法として確立していきます。

20世紀に入り、「現代催眠の父」とされるミルトン・エリクソンによって催眠療法はさらに発展していきます。エリクソンは自身の難病の経験から、フロイトの精神分析のように患者の症状を一般化するのではなく、患者一人ひとりに合わせた方法で治療していくことを重要視しました。
1980年代には、アメリカの精神科医だったブライアン・L・ワイス博士の体験を綴った著書『前世療法(原題:« Many Lives, Many Masters »)』により、世界中に前世療法が広まっていきます。
2000年代に入り、脳科学の研究がどんどん進んでいきます。その中で、かつて常識だった「記憶は変わらない」という概念が覆され、ヒプノセラピーにおける科学的な効能も明らかになってきました。脳と心と体の繋がりが日々解明されています。

日本では、こうした歴史・研究をふまえつつ、最新の脳科学にも基づいたヒプノセラピーが、村井啓一先生によって2000年代から本格的に体系化されていきます。
村井先生は、公式学会「日本催眠学会」の理事、ヒプノセラピースクール「日本ホリスティックアカデミー」と日本最大級の催眠団体「一般社団法人日本臨床ヒプノセラピスト協会(JBCH)」の設立代表者兼マスター・インストラクター、世界最大の催眠団体「米国催眠士協会(NGH)」日本代表兼初代マスター・インストラクターを務められており、ヒプノセラピーの第一人者です。
村井先生が独自に開発した効果的な技法を求めて「日本ホリスティックアカデミー」の門をたたく医療関係者や心理関係者は数多く、村井先生の技法が医療現場でも使われています。